Best & List       
 
 
ロック・ベスト100 ~ロックの時代を創った100曲~
 

 3.アートロックからハードロックとプログレシッブロックの時代へ
(1967-1975)
23. Vanilla Fudge / You keep hunging on (1967)
 ヴァニラファッジ 1966年から69年まで5枚のアルバムを発表、70年に解散した。1960年代後半、ベトナム戦争に端を発した価値観の転換が契機となって、芸術や音楽の分野でも、「アングラ」や「サイケ」、「ヒッピー・ムーブメント」といった動きが登場した。そんな中、約3分前後で終わるラジオ向け作品であったポピュラー音楽の在り様に対して不満を抱いた者が、演奏時間や表現手段の拡大を目指して様々な作品を発表し始めた。その流れのひとつとして、ヴァニラ・ファッジを捉えることが出来る。この「ラジオ・メディアの都合を無視した長時間の作品」という流れは、1970年代前半に全盛期を迎えた「プログレッシブ・ロック」に受け継がれることとなる。
 
24. Steppen Wolf / Born to be wild (1968)
1967年にカナダで結成されたロックバンド。バンド名は、ヘルマン・ヘッセの小説『荒野のおおかみ』(Der Steppenwolf)から名付けられた。彼らは1960年代に熱狂的なファンの支持を得ている。デビューアルバムからシングルカットされた第3シングルの「ワイルドでいこう!」と、ホイト・アクストンの楽曲のカバーである「ザ・プッシャー」の2曲が映画『イージー・ライダー』の作中で用いられたことにより、世界規模の知名度を得た。この曲は、ロックの歌詞に「ヘビーメタル」という言葉を織り込んでいる(実際には、この言葉は音楽のジャンルではなくバイクを表している)。

25. King Crimson / 21st Century Schizoid Man (1969)
プログレッシヴ・ロックの代表格。1968年に結成。1969年にビートルズの『アビイ・ロード』を1位から転落させたアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』でデビュー以降、リーダーのロバート・フリップはバンドのメンバーを次々と替え、音楽性も多様に変遷を見せた。40 年に渡る活動は、音楽的にいくつかのフェーズに分けられる。 69 年から 72 年までは、フリー・ジャズの影響を強く受けた大胆な即興と近代クラシック的な和声/アンサンブルを結びつけた作品が主であり、解散/再結成を経た 73 年以降は、メタリックなサウンドと超絶技巧による現代音楽的な即興作品、そして 80 年代以降はミニマル・ミュージック、ポリリズムの手法やさまざまなテクノロジーを盛り込んだヘヴィ・ロック作品を発表している。

 
26. Blood, Sweat & Tears / Spinning Wheel (1969)
元ブルース・プロジェクトのアル・クーパー、スティーヴ・カッツらを中心に、1967年にニューヨークで結成され、1968年にデビュー。ロックとジャズを融合させ、リズム・セクションに重厚なホーンを加えたサウンドが特徴である.
   
27. Cicago / 25 Or 6 To 4 (1970)
  ロックにブラスを取り入れた形式のバンドとして先駆的な存在であり、同じ ジェイムズ・ウィリアム・ガルシオがプロデュースしたバンド、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズやバッキンガムズなどと共に“ブラス・ロック”と呼ばれた。♪4時まであと25、6分だ♪「長い夜」(25 or 6 to 4)が発表された70年といえば、ドラッグカルチャー全盛であり、このタイトルも様々な憶測を呼んだ。ドラッグの調合の割合のことだと言った者、LSDのスラングだと言った者もいる。曲を書いたロバート・ラムが「クリケットのスコアさ」と冗談めいた煙に巻く発言をしたこともあった。「これは曲を作っているときについての曲だ」。2009年になって、テレビ番組に出演したロバートは、「長い夜」の舞台裏を語っている。「その当時、僕はヒッピー仲間たちと一緒に住んでいた。僕らが共同で住んでいた家の利点のひとつは、ハリウッド・ヒルズに建っていたので、夜になると街全体を見渡せることだった」とロバート・ラムは語る。「街中にネオン・サインが煌いていたから、閃光が、という歌詞を書いた。そして僕が時計を見た時、ちょうど4時25、6分前だったというわけさ」
 
28. Led Zeppelin / Stairway To Heaven (1971)
スタジオセッションギタリストを経て、クラプトン、ベックに続く、ヤードバーズ最後のギタリストとなったジミー・ペイジが、ボーカリストの重要性などに目覚め、各パートのメンバーを揃えて結成した。当初は、ヤードバーズとしての契約が残っていたためニューヤードバーズとして行う。帰国後、すぐにアルバムを録音。1968年に『レッド・ツェッペリンI』でデビューした彼らは、音楽シーンに衝撃を与えると同時に広い人気を得た。アコースティック・ナンバーも多く、ブリティッシュ・トラッド、フォークから中近東音楽に亘る幅広い音楽性を持つ。1971年11月に『レッド・ツェッペリンIV』を発表した。4曲目に収録されていた、フォーク・トラッドからハードロックへと流れていく「天国への階段」は、アメリカのFMラジオ局で最も頻繁にリクエストされる曲となり『IV』は1990年末までに総計1000万枚の売り上げを達成する大ロングセラーとなった。1970年代後半には、パンク・ロックやニュー・ウェイヴが一大ムーブメントとなり、ツェッペリンもハードロックやプログレッシヴ・ロックなどへのアンチテーゼとして「ダイナソー(恐竜=時代遅れ)・ロック」、「オールド・ウェイヴ」というレッテルを貼られてしまっていた。ジョン・ライドンも、当初ツェッペリンを「ダイナソーロック」と蔑称していたが、80年代以降は自らのステージで「カシミール」を歌い、さらに「カシミールのような歌詞はとても書けない」と告白した。90年代には、オルタナティヴ・ロックが世界を席巻したが、その中でもニルヴァーナやパール・ジャムに代表されるグランジロッカー達は、HR/HMバンドを軽蔑・酷評しながらも、レッド・ツェッペリンからの影響を口にしている。
 29.Janis Joplin / Move Over (1971)
ジミ・ヘンドリックスとほぼ時を同じくして現れ去っていった、女性初の本格ロック・シンガー、ジャニス・ジョップリン。ロックにとどまらず、ブルース、カントリー,ジャズなどをミックスした、まったく新しいサウンドの創造を目指し、幾度ものバンドのメンバーチェンジを繰り返し、常に孤独と闘いながら愛に飢え、そして、酒とドラッグに溺れていった。最後には理想のバンド、フル・ティルト・ブギーを結成し、名作「パール」を残しながらも、日の目を見る前に享年27歳という若さで、この世を去っていった。  
 
30. Emerson, Lake & Palmer / PICTURES AT AN EXHIBITION (1971)
1970年に結成されたイギリスのプログレッシブ・ロックバンド。キング・クリムゾン、ザ・ナイス、アトミック・ルースターと、それぞれが既に以前のバンド活動で名声を得ていたことで、「スーパーグループ」と呼ばれた。クラシックを取り入れたユニークな音楽性と演奏スタイルが支持されて、プログレッシブ・ロックの代表的なバンドとして「プログレッシブ・ロック5大バンド」とされているELPが本格的にシンセサイザーを活用し始めた。この頃のシンセサイザーは、多くのミュージシャンに強い興味を持たれてはいたものの実際にどう使ってよいのか判らないという者が多い中、ステージに持ち込んで「楽器」としての可能性を提示したのは、ELPが先駆である。
 
31. T・Rex / Get It On (1972)
1968年にデビューした頃はアコースティック・ギターとヴォーカルのマーク・ボラン、パーカッションのスティーヴ・トゥックの二人組で、ティラノザウルス・レックスと名乗り、フォークロック・グループとして一部でカルト的な人気を誇った。1970年12月にT.Rexとバンド名を短縮。71年にベースのスティーヴ・カーリーとドラムのビル・レジェンドが加わり、4人組のバンドになって初めてのアルバム『電気の武者』がUKチャート1位の大ヒット。「ゲット・イット・オン」「ジープスター」といった人気シングルも生まれ、グラムロック・グループとして一斉を風靡した。グラムロックとは、濃いメイクを施し、煌びやかで懐古趣味的な衣装をまとうのが特徴である。男性的な力強さや激しさを表現するハードロックや、演奏技術や楽曲の構成力を強調していたプログレッシブ・ロックが主流だった70年代において、それらとは異なった中性的なファッションや振る舞いを施し、単純で原始的なビートやキャッチーなサウンドをみせていたのがグラムロックのミュージシャンたちであった。この傾向が後のパンク・ロックの出現に大きく影響することとなる。
 
32. David Bowie / STARMAN (1972)
1964年6月5日に「ディヴィー・ジョーンズ・アンド・ザ・キング・ビーズ」名義でシングルを発表するも、しばらくヒットには恵まれず、幾度か名を変え、1966年4月のシングル「Do Anything You Say」から使い始めた「デヴィッド・ボウイ」でやっと芸名が定着する。1967年6月、デビューアルバム『デヴィッド・ボウイ』を発表。1969年、前年に公開された映画『2001年宇宙の旅』をモチーフにして、アルバム『スペイス・オディティ』を制作。シングル「スペイス・オディティ」は、全英チャート5位、全米チャート15位まで上がり人気を博した。1972年6月、コンセプト・アルバム『ジギー・スターダスト』をリリース。コンセプトに基づいて架空のロックスター「ジギー・スターダスト」を名乗り、そのバックバンドである「スパイダーズ・フロム・マーズ」を従え、世界を股に掛けた1年半もの長いツアーを組んだ。一連の「ジギー・スターダスト」としての活動で、ボウイはグラム・ロックの代表的ミュージシャンとしての地位を確立することになった。

 
 33. Mott The Hoople / All the young dudes (1971)
1969年にデビュー。デビュー当初からライヴが好評だったが商業的に振るわず、1972年のチューリッヒ公演の後、解散を決定する。しかし、ファンだったデヴィッド・ボウイが、その話を聞き付け、メンバーを説得、楽曲の提供とプロデュースを申し出る。当初、ボウイから提供された曲は「サフラゲット・シティ」だったが、モット・ザ・フープル側はこれを拒否、改めてボウイは別の楽曲を提供、モット・ザ・フープル側も大変気に入ったのが、この「すべての若き野郎ども (All the Young Dudes)」である。CBS移籍後に発表されたこの曲は、自身最大のヒットとなり、またグラムロックを代表する曲のひとつとなった。その後、ミック・ラルフス(ギター)が脱退(バッド・カンパニーを結成)やイアン・ハンターの脱退などメンバーチェンジに揺れた。  
 
 34. Yes / Roundabout (1971)
  1969年にアルバム「Yes」でデビュー。デビュー・アルバムはプログレのような音ではなく、当時に目指していたビートルズ、ザ・フー、バーズ、クリーム、ヴァニラ・ファッジなどに似た、アート・ロックやサイケデリック・ロックであった。1971年に「こわれもの - Fragile」、1972年に「危機 - Close to the Edge」が発表された。「こわれもの」はバンドとしての演奏と各メンバーのソロ小品で構成され、アート・ワークに初めてロジャー・ディーンが起用された作品でもある。バンドの代表曲「ラウンドアバウト」が収録されている。1980年にアルバム「ドラマ - Drama」を発表後に一時期活動停止状態であったが、1983年、「シネマ」と仮称された新しいバンドを結成するためのメンバーとして、南アフリカ出身のマルチ・プレイヤー、トレヴァー・ラビンを迎え入れた。結果、シネマはイエスへ改名しイエスの再結成となった。その後、ABWHとイエスの二分裂、訴訟沙汰、統一など激動の歴史を持つ。  
 35. Deep Purple / Smoke On The Water (1973) 
1968年5月、デビュー・アルバムの『ハッシュ』が発売され、シングル「ハッシュ (Hush) 」はビルボード誌でシングル・チャート第4位を記録するヒットとなった。この当時の音楽性は、ヴァニラ・ファッジ、ビートルズ等に影響された幻想的かつ破壊的な世界観を持つサウンドをその魅力とした。1970年に入って新作アルバムディープ・パープル・イン・ロック』のレコーディングが開始され、ディープ・パープルはハードロック路線を進むこととなった。1971年12月、スイスのモントルーにある湖のほとりにあるホテルで、対岸にある6角形のカジノで移動機材を使って録音する予定だった。ところがディープ・パープルが使用する直前にこのカジノでフランク・ザッパとマザーズがコンサートを行っており、そこで興奮した観客が木製の天井に向かって銃を撃ち、火災が発生してカジノは全焼してしまった。ホテルの窓から湖の上に煙が立ち込める様子を見ていたメンバーが、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」という言葉を発した。これがブラックモアが書いた印象的なリフと融合し、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」が誕生した。宿泊していたホテルの廊下で録音された事でも有名な『マシン・ヘッド』が完成、翌年2月にアメリカで、イギリスでは3月に、ヨーロッパ各国や日本でも順次発売されてヒットを記録した。  


   
 
 
 36. Pink Floyd / Great Gig In The Sky (1973)
サイケデリック・ロック全盛の時代にクラブUFOといったアンダーグラウンド・シーンで精力的にライヴ活動を行い、複数のレコード会社による争奪戦の末にEMIと契約を結んだ。1967年、シド・バレット作のシングル「アーノルド・レーン」でデビュー。全英20位のヒットとなる。同年、ファースト・アルバム『夜明けの口笛吹き』をリリースする。このアルバムをレコーディングしていた時、隣のスタジオでビートルズが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を制作していた。ピンク・フロイドのレコーディングを聴いたポール・マッカートニーは「ノックアウトされた」と語った。当初、バレットのワンマン・バンドであったが、過度のドラッグによりバレットの奇行によりバンド活動に支障をきたし結局、バレットは1968年3月にバンドを脱退。フロイドはウォーターズ、ライト、メイスン、ギルモアの4人で再スタートすることになった。バンドは方針を転換してサイケデリック・ロックから脱却し、より独創性の高いプログレッシブな音楽を目指すようになる。1973年3月、コンセプト・アルバム『狂気』を発表。アルバムのテーマとして「人間の内面に潜む狂気」を描いた。発売と同時に、シングル・ヒットした「マネー」とともに初の全米1位を記録するなど全世界で大ヒットを記録、音楽的にも商業的にも大成功を収める。ライトの手による”虚空のスキャット - The Great Gig In The Sky”は、他の収録曲の記憶を失わせるほどに衝撃的なものだった。歌詞は一切ないが、声のみで聴くものの心を震わし、心に傷跡を残す。キャスティングされたクレア・トリーは、ピンク・フロイドから「人の誕生から死までを声だけで表現してほしい」と注文を受けたという。  




 37. Genesis / I Know What I Like (In Your Wardrobe) (1973)
1967年に結成され、1970年代は叙情的・構築的なプログレッシブ・ロックバンドとして活動し、1980年代にはボーカルのフィル・コリンズの牽引によって世界的なポップバンドとして高い人気を誇った。1969年に『創世記』でデビューしたが評価は芳しくなかった。反省したメンバーは、アート・ロックの方向性を強く意識し、練りに練った作品をリリースするようになる。そして3作目にあたる『怪奇骨董音楽箱』(1971年)でプログレッシブ・ロック・バンドとしての評価を確立。ピーター・ガブリエルの演劇性を持った独特のステージ・パフォーマンスもあって人気となる。1973年発表の『月影の騎士』よりカットされた『アイ・ノウ・ホワット・アイ・ライク』はシングルとしてカットされ全英21位を記録し初のヒットシングルとなった。アルバムカバーアートは画家ベティ・スワンウィックが描いたThe Dreamという絵でありこの曲の世界観を表現したものとなっている。1975年、ガブリエルが『眩惑のブロードウェイ』ツアーの後に脱退。その後は、フィル・コリンズがリード・ボーカルも担当し、よりリズムを強調した新しいプログレ・サウンドに変化する。さらに、ギタリストのスティーヴ・ハケット脱退後は、トリオ編成となり、1978年発表の『そして3人が残った』以降、よりポップス色を深め、アメリカでの人気を不動のものとする。2008年にフィルがレコーディング、ライブからの引退を表明。その後、脊髄手術の後遺症で手の動きに支障が出ていることから、黄金期メンバーでの活動の可能性は完全になくなった。エンジニアのニック・デイヴィスによって過去のアルバムのSACD化が進められ、スタジオアルバムに関しては『創世記』を除く全ての作品がリリースされた。  



 
 38. Queen / Bohemian Rhapsody (1975)
  ブライアン・メイとロジャー・テイラーの在籍していたバンド「スマイル」がクイーンの母体となった。スマイルは、1969年9月にシングルをリリースするも成功せず、ヴォーカル兼ベースが脱退。その後任として、フレディ・マーキュリーが加入。70年のライヴよりクイーンと名乗り始める。71年にジョン・ディーコンが加わる。ファーストアルバム『戦慄の王女』リリース当時、母国イギリスでは「ロックなのに、曲構成が複雑で、サウンドに小細工が多く、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、イエスの亜流」などとメディアから酷評され、遅れてきたグラムロックバンドと見られることもあった。74年2ndアルバム『クイーン II』をリリース。シングル曲「輝ける7つの海」もヒットし、アルバムは全英5位まで上がるヒット作になった。74年、3rdアルバム『シアー・ハート・アタック』からの先行シングル「キラー・クイーン」が全英2位のヒットとなる。75年10月、4枚目のアルバム『オペラ座の夜』からの先行シングル「ボヘミアン・ラプソディ」が全英9週連続1位の大ヒットを記録し結果、イギリス史上最高の売り上げを記録した。アルバム『オペラ座の夜』も初の全英1位を獲得、クイーンに批判的だったメディアからも非常に高い評価を得ることとなった。その後、数々のアルバムとシングルのヒットを飛ばすが、結成20年目の1991年11月24日、フレディ・マーキュリーはHIVによる免疫不全が原因となって引き起こされた肺炎により45歳という若さで死去。フレディの死は世界中に衝撃が走った。
 
 
2.ビートルズの時代 ||4.サザンロックとウェストコーストの時代