Best & List       
 
ロック・ベスト100 ~ロックの時代を創った100曲~
 

4.サザンロックとウエストコーストの時代
1970-1982
40. Derek & The Dominos / Layla (1970)
クラプトンはブラインド・フェイス解散後、デラニー&ボニー&フレンズと活動を共にする。ここで、アメリカ南部のブルースロックやサザンロックに強い影響を受けたクラプトンは、フレンズからボビー・ウィットロックとカール・レイドル、ジム・ゴードンを迎え、デレク・アンド・ザ・ドミノスを70年に結成する。トム・ダウドをプロデューサーに迎え、アルバム『いとしのレイラ(Layla and Other Assorted Love Songs)』を発表した。アルバムのハイライトとなる「いとしのレイラ」は、クラプトンの私生活に基づく物で、親友のジョージ・ハリスンの妻であるパティ・ボイドに夢中になった。ヘロインを使用するようになったが、それでさえ心の痛みを癒やすことはできなかった。アルバムには、オールマン・ブラザーズ・バンドのデュアン・オールマンもゲスト参加し、そのスライドギターは、クラプトンと対等の存在感を示した。1971年、2枚目のアルバムのレコーディング中にクラプトンとゴードンが激しい口論となったことで製作は中止され、バンドは解散した。
41.  Nitty Gritty Dirt Band / Mr.Bojungles (1970)  
1966年頃カリフォルニア州ロング・ビーチにおいてJeff Hanna とBruce Kunkelの二人によってJugバンドとして結成された。デビュー・アルバムとなる『The Nitty Gritty Dirt Band』は1967年に発売されそこからファースト・シングルとして『Buy for Me the Rain』がシングル・カットされTop 40入り成功を収めた。2枚目のアルバムとして『Ricochet』 がその年に続けて発売されたがデビュー作程の成功は納められず、エレクトリック化に向かった3枚目のアルバム『Rare Junk』、ライヴ・アルバムである『Alive』も同様に売れずバンドは半ば解散状態に陥る事になる。5枚目のアルバム『Uncle Charlie & His Dog Teddy』を1970年に発売した。『Mr. Bojangles』はバンドのキャリアの中で最大級のヒットとなった。
42. Little Feat / Willin' (1971)  
1969年、フランク・ザッパのマザーズ・オブ・インヴェンションのメンバーだったローウェル・ジョージ、ロイ・エストラーダを中心にLAで結成。2枚のアルバムを発表したが、商業的成功には結びつかず、エストラーダにより解散寸前の危機的状況に陥る。しかし、初期の2枚には、ロード・ソングの名曲「ウィリン」が録音されている。これはアメリカ南部とメキシコを密輸のトレイラーを走らせる酔いどれトラック野郎の唄である。新たなラインナップで、1973年にアルバム「Dixie Chicken」を発表。タイトル曲に見られるようにニューオーリンズ、南部色をより強めた。この後、ファンキーな路線を推し進め、ジャズ、フュージョン的な色彩も織り込んでいくが、ローウェル・ジョージはバンドの方向性に違和感を覚え、1979年にリトル・フィートの解散を宣言した。しかし、その直後心臓発作で死亡。残されたメンバーは、ジョージが録りためていた未完成のレコーディングに追加のレコーディングを行い、アルバム「Down On The Farm」としてリリースした。なお、ライブアルバム「ウェイティング・フォー・コロンブス 」は名盤と呼ばれている。

43. The Allman Brothers Band / Statesboro Blues (1971)
デュアン・オールマンと弟のグレッグ・オールマンは、地元フロリダ州デイトナビーチで1963年、オールマン・ジョイズを結成し米国南東部のツアーを経験、シングル・レコードもリリースする。続いて60年代後半、2人はアワーグラスに参加するために、LAへ移住した。このバンドは2枚のアルバムをリリースしたものの、希望する音楽をプレイできないことに不満を感じたデュアンはバンドを脱退し、フロリダに戻ってしまった。1969年3月、まだLAに残って活動を続けていたグレッグをデュアンが呼び寄せ、オールマン・ブラザーズ・バンドを結成する。1969年、地元のキャプリコーン・レコードと契約、同年、ファースト・アルバム『The Allman Brothers Band』をリリース。翌年には2作目『Idlewild South』をリリースするが、2作とも大きな成功を収めるには到らなかった。彼らの存在を不動のものとしたのは、続いてリリースした1971年のライヴ盤『At Fillmore East』であった。デュアンの豪快なスライド・ギターをフィーチャーした"Statesboro Blues"などを収録した2枚組はビルボードのアルバム・チャートの13位を記録するヒットとなり、ライブ盤の金字塔として知られるようになった。『At Fillmore East』の成功から間もない1971年10月29日、デュアンがメイコンにてオートバイでトラックに追突し、僅か24歳の若さで他界する。翌年には、デュアンに続きベリー・オークリーもオートバイ事故により亡くなってしまう。デュアンの事故現場から僅か3ブロックしか離れていないところでの事故であった。度重なるメンバーの死にも関わらず、残ったメンバーはバンド活動を続行し、1973年、『Brothers And Sisters』をリリース。ビルボード全米アルバム・チャートNo.1の大ヒットを記録し、アメリカの国民的バンドとしての地位を確立した。
44. Leon Russell / Tight Rope (1972)
1968年から現在に至るまで数多くのアルバムを発表、アメリカ南部のルーツ・ミュージック色が濃い泥臭い音楽性は高い評価を受けている。ラッセルのロック・ミュージックはロサンゼルス産でありながら、”スワンプ・ロック”という呼称が与えられ、彼こそが、スワンプ・ロックのカリスマである。1972年にリリースされたレオン・ラッセル最大のヒット作『Carney』の頭に収録された「タイト・ロープ」もチャートインした。ねちっこい節回し、シンプルなバックの中に光るスライド・ギターとピアノなど、軽快な南部の泥臭い臭いが聴ける。この頃、ラッセルのスワンプ・ロックは、エリック・クラプトンにも大きな影響を与えた。他にも「ソング・フォー・ユー」「スーパースター」「マスカレード」など、ヒット曲・カバーされた作品を多く持つ。
 
45. Jackson Browne / Doctor My Eyes (1972)
1960年代後半から、イーグルスやニッティ・グリティ・ダート・バンドなどに楽曲を提供しており、デビュー前からその名は広く知られていた。1972年、アルバム『ジャクソン・ブラウン・ファースト』でメジャー・デビューを果たす。同アルバムに収録されている「ドクター・マイ・アイズ」は、全米シングル・チャート第8位のヒットとなった。以後、1974年『レイト・フォー・ザ・スカイ』1976年『プリテンダー』1978年『孤独なランナー』を次々とチャートインさせ、1980年にリリースしたアルバム『ホールド・アウト』で初の全米チャート1位を獲得する。
 
46. The Doobie Brothers / Long Train Running (1973)
1971年、デビュー・アルバム『ドゥービー・ブラザース』をリリース。ハードなロックと、アコースティック・ギターによるフォーク、カントリー色の強い楽曲を配置したが、商業的には成功しなかった。1972年、セカンド・アルバム『トゥールーズ・ストリート』をリリース。同作からシングル・カットされた「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック(Listen to the Music)」がビルボード Hot 100の11位まで上昇するヒットとなり、グループは一躍全米規模の人気バンドとなる。1973年のアルバム『キャプテン・アンド・ミー(The Captain and Me)』からは「ロング・トレイン・ランニン(Long Train Runnin')」、「チャイナ・グローヴ(China Grove)」がヒット。 1974年のアルバム『ドゥービー天国(What Were Once Vices Are Now Habits)』からは「ブラック・ウォーター(Black Water)」が初の全米No.1ヒットとなり、イーグルスと並びアメリカン・ロックを代表する人気バンドのひとつとなった。しかしこの後、トム・ジョンストンが健康状態の悪化により脱退してしまい、代役としてマイケル・マクドナルドが正式加入する。卓越した歌唱力に加え、スティーリー・ダンで培った作曲能力を持ったマクドナルドの存在は大きく、バンドの音楽性はジョンストン期の野性味あふれる快活なギターロックから、R&Bの影響を受け洗練されたAOR色の強いものへと変化していった。

 
47. Linda Ronstadt / You're No Good (1974)
1969年、ソロ・デビュー。1970年代のウエストコースト・サウンド・ムーブメントの中心で活躍する女性シンガーとして名を知られるようになる。バック・バンドのメンバーとして集められたドン・ヘンリーとグレン・フライ、バーニー・レドン、ランディ・マイズナーは、ロンシュタットのサポート後イーグルスとして独立した。1974年、アルバム「悪いあなた (Heart Like A Wheel)」から「You're No Good」をヒットさせる。自身のソロ活動だけでなく、イーグルスやニール・ヤング、ジェームス・テイラー、ジャクソン・ブラウン、J.D.サウザーなどのアーティストとも深い交流を持つ。付き合う男の服装の好みで格好を替えることでも有名。イーグルスの「Witchy Woman」やローリング・ストーンズの「ダイスを転がせ(Tumbling Dice)」は、彼女のことを歌ったものである。1990年代に入るとジャズシンガーに転向、またメキシコ音楽にも挑戦するなど、国民的大歌手として活躍した。
 
48.  Lynyrd Skynyrd / Sweet Home Alabama (1974)
 1964年米フロリダ州のハイ・スクールに通っていたロニー、アレン、ゲイリーの3人が結成したバンドが母胎となるレーナード・スキナードのバンド名の由来は、事あるごとに彼らを呼びつけ「髪を切れ!」とうるさく言っていた体育教師Leonard Skinner教師の名前をもじりLynayrd Skynyrdとしたと言われる。73年中に発表されたこの1stアルバムは、「フリー・バード」などの名曲が収録された新人らしからぬスケールの大きなサウンドで、全米27位まで上がるスマッシュ・ヒットを記録した。74年には2ndアルバム「セカンド・ヘルピング」を制作し、シングル「スウィート・ホーム・アラバマ」は全米チャートでも8位まで上がる彼ら最大のヒットとなり、レーナード・スキナードの名は一躍世界中に知れ渡った。
 
 
49.ZZTop / Tush (1975)
 1969年にアメリカ合衆国テキサス州で結成した、スリーピース・ロック・バンド。
『ZZ TOP/ZZ TOP'S FIRST ALBUM』で71年にデビュー。75年のアルバム『Fandango!』に収録のブギー・ナンバー「Tush」は、初のトップ20ヒットとなった記念すべき一曲。現在も彼らのライヴでは必ず演奏される代表作中の代表作だ。アメリカでは押しも押されぬ大スターであるにも関わらず、長いこと日本での認知度の低かったバンドでもある。
 
 
50. Eagles / Hotel Carifornia (1976)
1971年にリンダ・ロンシュタットのバックバンド編成のためにミュージシャンが集められ、グレン・フライ、ドン・ヘンリー、ランディ・マイズナー、バーニー・レドンの4名が顔をあわせた。後に彼らは独立し、1971年8月にイーグルスを結成、ロンシュタットが所属していたアサイラム・レコードからデビューした。グレンが、同居していたジャクソン・ブラウンと共作した「テイク・イット・イージー」が、1972年にデビュー曲でいきなりシングル・ヒットを記録。1975年、大ヒット・アルバム『呪われた夜』を発表。タイトル曲「呪われた夜」をはじめとする3曲のヒットを生んだ。ルーツであるカントリー色の濃い楽曲も依然見られるものの、全体としてはよりロック色を強め、またタイトル曲ではAORやファンク、ダンス・ミュージック的要素を盛り込むなど、音楽的な幅はさらに広がった。1976年、彼らの代表作となる『ホテル・カリフォルニア』を発表。当時のロック界と都市社会の矛盾を揶揄したかのような歌詞と完璧なサウンド・ワークによって、1970年代のアメリカン・ロックを代表する曲のひとつとなったタイトル曲などを含み、全世界的な大セールスを記録。押しも押されもせぬロック界の代表格にまで押し上げた。
 
51. Fleetwood Mac / Dreams (1977)
1967年にイギリスで結成された。40年を超えるキャリアを誇り、デビューから1970年代初頭までは主にブルースをベースにした音楽スタイル、70年代半ば以降はウェストコースト・ロック~ポップバンドに転身し、そのいずれでも大成功を収めた。67年、ピーター・グリーンとミック・フリートウッドを中心に活動を開始する。数回のギグの後、ジョン・マクヴィーが加入。初期のバンド名はピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック(Peter Green's Fleetwood Mac)。68年の2月に、初のアルバム『ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック』をリリースして注目を浴びる。さらに同年に録音した「ブラック・マジック・ウーマン」をシングルとしてリリースした。しかし、ピーターはLSDを使用して精神疾患を発症し、70年に突如バンドを離れてしまった。元チキン・シャックのクリスティン・マクヴィーとボブ・ウェルチが加入し、従来のブルース色を弱めロック色/フォーク色を強め、71年に「フューチャー・ゲーム」、翌72年には「枯れ木」を発表した。その後、ウェルチは脱退し、代わるフロントマンとしてリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスを迎え入れた。再び生まれ変わったマックは、75年にアルバム「ファンタスティック・マック」を発表、77年には、最大のヒット作となるアルバム「噂」を発表。シングルカットされた「オウン・ウェイ」「ドリームス」「ユー・メイク・ラヴィン・ファン」、「ドント・ストップ」などの大ヒットとともに、アルバムは31週間に渡って全米1位に輝き、1,700万枚といわれる史上空前のセールスを記録し、一躍スーパースターの座に上り詰めた。
  
52. Atlanta  Rhythm Section / Imaginary lover (1977)
 

 アトランタ出身のスタジオ・ミュージシャンの要素が強いサザン・ロック・バンド。ジョージア州アトランタ周辺を拠点にして、地元のレコーディング・スタジオの専属セッション・ミュージシャン集団として活動を始めた。 中心人物はギターのJ.R.コッブ、プロデューサーであるバディ・ビューイ、元ロイ・オービソンのバック・バンドでビューイが手掛けるキャンディマンのメンバーや、地元のローカル・ミュージシャンを誘ってスタートし、72年にデビュー。またデビュー時のレコード会社MCAとの契約金を基に自らのスタジオ「スタジオ・ワン」を設立し、ARSと平行して、様々なスタジオ・ワークもこなしていた。シングルヒットは「So Into You」(1977)最高位7位、「Imaginary Lover」(1978)最高位 7位などがある。なお、音の特徴はスタジオミュージシャンの集まりらしい、アメリカ南部ながら洗練された音であるが、バンド名やジャケット、メンバーのヴィジュアルが南部テイストあふれる田舎臭さムンムンで、そのギャップも魅力である。  
 
53. 38 Special /  Caught Up in You (1982)
 レーナード・スキナードのロニー・ヴァン・ザントの弟ドニー・ヴァン・ザントDonnie Van Zantを中心に結成した。A&Mレコードと契約し、1977年にデビューアルバム「38 Special」をリリース。82年のシングル『Caught Up in You』がビルボードのロック部門ナンバーワン・ソングとなる。アルバム「Wild-Eyed Southern Boys(81年)」、「Special Forces(82年)」そして「Tour de Force(83年)」の3作はプラチナ・レコードとなり、シングルとアルバムの両部門で国内のチャートでビッグ・ヒットを記録する。  
 
 
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